毎日の体験を記す場所

東京新聞(中日新聞東京本社)社会部デスクの小川慎一です。原発取材班にいました。取り調べは全面可視化、検察官は証拠リストを開示すべき。金に余裕があるならクール寄付。"All sorrows can be borne if you put them into a story or tell a story about them." Isak Dinesen(どんな悲しみも、それを物語にするか、それについて物語るならば、耐えられる)

Pythonを学び始める

デジタルジャーナリズムを実践するために、他社の記者の影響を受けて、Pythonを学び始めた。プログラミングってほぼ初めてなので、かなり大変である。とりあえず、この2冊から。

いちばんやさしい Python入門教室

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スラスラ読める Pythonふりがなプログラミング (ふりがなプログラミングシリーズ)

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海外メディアが使う4つのデータ関連ツール – TOKYObeta Journal – Medium

 

ひねくれた視点を大事にする

 記者はひねくれていた方が良いと思っている。それは性格の問題ではなく、何かが起こったときに「こんな見方もあるよ」とか、「いやいや、そりゃあ違うでしょ」とまず思えるかどうかは結構重要だろう。行政の取材をしていると、大量の出稿を求められるので、打ち出してくる政策や取り組みにいちいち難癖をつける時間がなくなるかもしれない。今回取り上げるのは、これこそ難癖つけないでどうするの、と思った記事。

家庭教育充実へ始動 県検討委、来年にも「戦略」策定:三重:中日新聞(CHUNICHI Web)

 保護者らが子どもに行う「家庭教育」の充実を目指す県の検討委員会(座長・貝ノ瀬滋政策研究大学院大学客員教授)が九日、県庁で初会合を開いた。現状や課題を洗い出して、支援のあり方に関する基本方針を盛った「応援戦略」(仮称)の案を来年二月にも策定する。

 共働き世帯やひとり親家庭の増加、少子化の進行を受け、近年は「教育の原点」とされる家庭教育の重要性が再認識されている。県によると、自治体による条件整備が各地で進んでおり、沖縄県教委が「家庭教育支援推進計画」を策定しているほか、岐阜県などが「家庭教育支援条例」を制定している。

 県は家庭学習への支援を通じ、学習・読書習慣に加えて基本的な生活習慣や善悪の判断、社会的なマナーの定着につなげる考えだ。

 検討委は大学教授やPTA関係者ら七人で構成。戦略には二〇一七年度から五年間にわたる取り組みも盛り込む。早ければ九月に戦略の骨子案を、十一月に中間案を取りまとめるほか、各種啓発や研修に使える冊子や学習プログラム、手引などの案も示す。

 昨年四月、「教育・人づくり」を重点政策に掲げて再選を果たした鈴木英敬知事は初会合で「家族のあり方の多様化を支えるためには家庭教育の充実が必要だ」と強調した。

 委員からは「最近の子どもは物事を考える力が弱いのではないか」「本来は家庭ですべきことを学校に任せている例がある」といった意見が上がった。

 岐阜県で県政担当をしていたときに、やり残したことのひとつが、「家庭教育支援条例」の問題。家庭教育に行政が口を出そうとしていることには、はっきりとNOを言うべきだと思っている。こんなのを、おっさんたちが真面目に検討していると思うと、へどが出る。この記事には批判的な視点がなく、とても不満。本当に戦略が必要なのかどうか、識者のコメントを載せたりして、読者に問いかけるべきではないのか。

 知事の「家族のあり方の多様化を支えるためには家庭教育の充実が必要だ」という言葉は、何を言いたいのかわからない。委員の「最近の子どもは物事を考える力が弱いのではないか」ってのは、それが本当なら学校教育の問題だろう。一体家庭に何をさせようというのか。

 教育や家族に対する意見ってのは、自分が経験したことが色濃く反映されるし、ものすごく理想をぶち上げやすい。そもそも理想的な家族なんているわけがないし、その理想に近づくことが重要でもなく、しかもその理想を行政が示す必要もないし、させてはいけないのではないか。そんなことを考えるきっかけになるような続報が出ることを期待している。

映画祭をやるなら、上映作品名を書け

 本日2本目は、中日新聞(愛知)の記事を取り上げる。この原稿への不満は「映画祭をやるなら、上映作品名を書け」ということに尽きる。

空き家利用し11日に手作り映画祭 豊田・稲武の夫妻企画:愛知:中日新聞(CHUNICHI Web)

リードは以下の通り。

 空き家となった旧稲武商工会館豊田市稲武町タヒラ)を、「一日映画館」として利用した住民手作りの映画祭が、十一日に開かれる。同町でカフェ「ヒトトキ」を営む家具製作技能士の松島周平さん(40)、建築士の知美さん(37)夫妻が中心となって運営。過疎化が進む稲武の観光振興にもつなげたい考えだ。

 「空き家」とは以前は人が住んでいたが、今は住んでいない家のことをいうように思う。なので旧商工会館を「空き家」と呼ぶのが適切なのだろうか。「使われなくなった」とかで良いのでは。見出しに「空き家」と使われているけど、誰も疑問に思わなかったのだろうか。

 それと「過疎化が進む稲武の観光振興にもつなげたい考えだ」とあるが、一日映画館で観光振興にはつながらないだろう。これを書くならば、「今後定期的に映画上映をしたり、イベントをしたりして」みたいな下りを入れた方が良い。

 そして2、3段落目。

 二人は大の映画好きで、映画祭の構想を十年前から練っていた。昨年十月に商工会が豊田市役所足助支所に移転したのをきっかけに、使われなくなった建物で実行した。

 当日は、大会議室だった部屋を会場に、もともと備え付けられていた横三メートル、縱二・四メートルのスクリーンを利用。暮らしや移住、食をテーマにした一時間前後の映画を、三作品上映する。

 2段落目の「実行した」。流れからすると、「利用を考えた」ぐらいではないか。

 3段落目は、映画祭をやるのに上映作品名を明記していないのは、読者に不親切極まりない。三作品ぐらいなら、書いてもらわないと困る。

 そして5段落目。

 建物は木造三階建てで一九五五年に建てられた。二階の窓にはツタがかかり、レトロな雰囲気と相まって情緒を感じさせる。立地するのは、かつて長野に向かう車で活気にあふれた町の目抜き通りだったが、中央自動車道の開通や、通りと並行する国道153号の影響で交通量が減った。

 「建物は木造三階建てで〜年に建てられた」。どんだけ「建」という言葉を使うんだ。「旧商工会館は木造三階建て、一九五五年に完成した」ぐらいで良いのでは。「情緒を感じさせる」より「レトロな雰囲気を漂わせている」の方がいいかなと。「立地するのは」以降は必要な情報なのか悩ましい。自分がデスクなら削る。全体的に言葉がこなれていないように感じる記事であった。

テーマと内容を絞って書く

 新聞の紙面を独占するほどの記事を書ければ良いが、ほとんどの場合そうではない。紙面は限られている。原稿はコンパクトにし、内容を絞り込まないといけない。

 今回取り上げるのは、中日新聞「津市民版」に掲載された「安全に楽しく 津の魅力 再発見 ポケモンGO遊び方講習会」という記事。これはこれで良いのだが、もうちょっと工夫すれば、より良くなるのではないかと思う。

 スマートフォン向けゲーム「ポケモンGO」を地域活性化につなげるイベントが六日、津市の中心市街地であった。親子連れから七十代の男性まで約百人が、安全な遊び方を学びながら、観音公園などを巡ってポケモン集めを楽しんだ。

 津市まん中広場に参加者が集まると、最初に「個人情報を守ろう」「偽アプリに注意」などとゲームで遊ぶ際の注意点が書かれたプリントが配られた。

 その後、大門商店街や大門大通り商店街、観音公園、お城公園を散策。同行したイベントスタッフのアドバイスも受けながら捕獲用のアイテムを入手し、スマホ画面に出現したポケモンを捕まえた。

 猛暑の中、屋外を二時間歩き続けたため、スタッフが参加者に木陰で積極的に休むよう指導。プレーヤー同士がポケモンを対戦させる「ジム」ではニックネームが公開されるため、本名が分からないものにするなど、遊びながら安全な使い方も促した。

  イベントは市の依頼を受けて、津市NPOサポートセンターと、NPO1124(いいつし)が企画した。NPOによると、ポケモンGOの遊び方の講習会は東海地方では初という。サポートセンターの川北輝理事長は「安全に気を付けながら、ゲームを通して津の魅力を再発見してほしい」と話した。

  リードに「地域活性化につなげるイベント」とあるが、地域活性化につながるようなことが本文中に書かれていない。記事の内容は全体的に「安全な遊び方」に重点が置かれている。そうならば「歩きスマホ」の危なさも指摘すべきではないだろうか。それほど長い原稿が掲載できないであろう紙面事情を考えると、「地域活性化」か「安全な遊び方」のどちらかにテーマを絞って書かないといけないだろう。

 4段落目に「ニックネームが公開されるため、本名が分からないものにするなど、遊びながら安全な使い方も促した」とある。これはアプリのインストール前に注意してもらえればいいが、本名が分かるようなニックネームにして既にゲームを始めていた場合には意味がない。もしかしたら、イベントの冒頭に説明があったのかもしれないが、段落が時系列になっているので、途中で説明がされたような印象を抱かせる。「安全な遊び方」をなんとか書かないといけないと思って、強引に付け加えたのではないか。ついでに、「積極的に休む」というのはこなれない表現だと思う。

 最終段落も説明不足が気になる。NPO「1124」とはどんな団体なのか。例えば「まちづくりに取り組むNPO」ぐらいは書いた方が良い。この段落では、「遊び方の講習会は東海地方では初という」ともあるが、「初めて」にどれほどの意味があるのか。必要ない一文と思う。筆者やデスクがどんな意味を込めようとしたのか分からない。では、どういう原稿にすれば良いのか。まずリードはこんな風にしてみた。

 大人気のスマートフォン用ゲーム「ポケモンGO」。歩きながらだけではなく、自転車や車に乗りながら遊ぶ人も多く、思わぬ事故を招く恐れがある。津市のNPOは七日、市中心部でゲームの講習会を開き、参加者に安全な遊び方を伝えた。

 そして、2段落目。

 気温三〇度を超えた猛暑の中、津市真ん中広場には、初めてゲームをする人を中心に親子連れから七十代の男性まで●人が集まった。主催した津市NPOサポートセンターとまちづくりに取り組むNPO「1124(いいつし」のスタッフらから「●」「●」と注意を促され、街歩きを開始した。

 と、こんな感じで続ける。「ジム」の話は必要ないのではないかとも思う。

 「安全な遊び方」をテーマにした場合は、2時間の街歩きの中で、参加者や記者が「危ないかも」と思ったことを書いた方がよい。熱中症を避けるために日陰で休んだり、水分を十分に補給したりということも重要だろうが、もっとほかにないのだろうか。現場で取材をしていたならば、きっとあるはずだ。

 一方、「地域活性化」をテーマに書くならば、取材を主催者に重点を置く必要がある。地域活性化のためにポケモンGOを利用する狙いは何なのか。また参加者からは、例えば「ポケモンを捕まえるために、地元をもうちょっとゆっくり歩いてみたい」とか感想が取れれば原稿は書きやすい。ただ思い通りに答えてくれるかどうかは分からないし、たいていそうはいかない。

 ひとつのイベントでもどのようなテーマで書くのかを考えると、誰に重点を置いて話を聴くべきかが変わってくる。デスクが無理な注文をして「こういう風に書け」と指示をしてきた場合でも対応できるように取材しておくことは大事だが、「現場に行ったのだから、こういう風に書きたい」と言い張ることも重要だ

不要なことは書かない

 自社他社を問わず、記事を書き直してみるという訓練を再開。いろいろ仕事でストレスが溜まっているということもあるので、記事に文句をつけてプラスになるかもしれない発散の仕方を模索する。いや、単に嫌な奴なんだけど。全然関係ないけど、甲子園開幕の日の新聞に「開会式リハーサル」の記事を掲載するって、本当にやめた方がいい

 今回取り上げるのは中日新聞の三重の記事。

JR名松線で美杉観光を 7日から津市が臨時無料バス:三重:中日新聞(CHUNICHI Web)

 二〇〇九年の台風被害から今春、六年半ぶりに全線復旧したJR名松線で美杉地区を観光で訪れてもらおうと、津市は七日から同線終点の伊勢奥津駅を発着する無料シャトルバスを運行する。行楽シーズンの十一月までの土日を中心とした十五日間運行し、美杉地区の活性化を目指す。

 名松線松阪市と津市の美杉地区を結ぶ全長四三・五キロの単線で、〇九年十月の台風被害で家城-伊勢奥津間の一七・七キロが不通になった。津市と県、JR東海が工事費用を分担し、今年三月二十六日に全線復旧した。

 伊勢奥津駅周辺は、武家の庭園で名高い北畠神社や川上山若宮八幡宮といった名所や木工品や地元の野菜などを購入できる「道の駅美杉」などの観光資源があり、同駅から各地を巡る交通手段の確保が課題だった。

 市は今年のゴールデンウイーク(四月二十九日~五月八日)に民間業者に委託し、無料シャトルバスを一日四往復でテスト運行した。市の調査では利用した二千百六十人のうち六割が名松線に乗ること自体を目的とする鉄道ファンだった。

 美杉地区は八月十一日の「みすぎ夏まつり納涼花火大会」、二十八日に木工体験などが楽しめる「美杉なぁなぁまつり」がある。十一月十一~十三日には北畠神社内の「北畠氏館跡庭園」の夜間ライトアップもあり、市は今後も鉄道ファンのシャトルバスの需要があると判断。運営費約百万円を充てて運行する。

 散策の帰りに道の駅美杉に立ち寄る人が多いため、余裕を持って買い物を楽しんでもらおうと、市はバスの本数を一日七、八往復に増やして対応する。

 一読して思うのは、「台風被害」について記事で触れる必要があるのかということ。台風の被害を受ける前から、観光名所をめぐる交通手段の確保が課題だったのではないだろうか。2段落目に台風で不通になったと書いてあるが、この原稿の趣旨からすると「だから何?」という感じだ。しかも復旧は3月の話でニュースではないし、既報だろう。余計なことを書いて、リードを重くしている。それと肝心のバスの行き先が分からない。あとシャトルバスってわざわざいるかね。「バス」じゃだめなの?ということで、リードはとりあえずこんな感じにした。

 美杉地区をJR名松線で訪れてもらおうと、津市は七日から、終点の伊勢奥津駅と周辺の観光名所を結ぶ無料バスを運行する。行楽シーズンの十一月まで土日を中心に十五日間運行し、美杉地区の活性化を目指す。

 これでも、こなれない。悔しい。記事を何度読んでも、台風被害の段落がまったくもって不要としか思えん。この記事で必要なのは、①バスはどことどこを結ぶのか。②美杉地区のおすすめスポットはどんな所なのか。③なんでバスを運行するのか、の3点。これ以外の話はいらない。新聞は紙面が限られている。書くことは絞ろう。

 

 

ハンセン病資料館

 東京都東村山市国立ハンセン病資料館に行ってきた。館内は残念ながら写真撮影できず。治療だから、法に基づいているから、そんな理由で、隔離されて不自由を強いられた人がいて、生まれることさえ許されなかった命がある。そういうことを東京で、しかも入館無料で知ることができるのだから、これは行かなきゃ損というものだ。

 展示されていた「中学生・夏子の卒業式答辞」という文章から目が離せなかった。館内にある図書室で出典元の鈴木敏子『「らい学級の記録」再考』(2004、学文社)を見つけたので、その答辞部分をコピーした。夏子は収容先のハンセン病療養所内で10年近くを過ごしたという。感じたことを、思いを、わずかにでも言葉に残しておくことは、後に思いもしない誰かの元に届くことがある。夏子は卒業式で、どんな声で、どんな抑揚で、この答辞を読んだのだろう。答辞全文は以下の通りである。

 小学一年から、この中学を卒業する九年間、私には長いようにも思えるし、短くも感じる。こんな気持はだれでももつ平凡なものかもしれない。わたしもその当たりまえの気持ちにいまなろうとしているのだ。
 また一方では、自分が卒業するなぞとは思えず、わたしとは別のわたしが卒業してゆくような気持だ。これからわたしはどうしてゆけばよいのかという不安だけが、強い実感としていまわたしの胸の中にある。みんなの胸は、夢や希望でふくらでんいることだろう。わたしには夢もなく、希望もない。ただ不安だけが雲のようにわき上がってくるだけなのだ。
 わたしにも夢はあった。幼いころ、それもいま思うとバカバカしくなるような夢が。でもあのころのわたしにとって、その夢はわたしを慰めてくれる唯一つの宝物でもあった。
 わたしは小さい時病気になって、療養にはいったため、友だちには恵まれていない。療養所の数少ない子どもの中でも一ばん小さかったわたしは、ひとりぼっちの時が多かった。みんなが学校にいったあと、つまらないので、踊りが好きだったわたしは、いたずらにひとりで踊ったりして、みんなが学校から帰ってくるのを待ったりしたものだった。
 そんなわたしが小学一年生になったある日、療養所で、バレエ映画「白鳥の湖」が上映された。わたしのあこがれていたバレエが、本の中でしか見ることのできなかったバレエが、映画でみることができる、わたしの心は弾んだ。
 映画「白鳥の湖」は、静かな森のシーンからはじまった。王女オデットが魔法にかけられ、白鳥となってしまう。お付きの人もやはり王女と同じ姿にされてしまう話が、美しい森と湖の背景の中で、柔らかい音楽にのって、人のからだとは思えぬ優雅な、流れるような踊りの表現で展開されてゆく。まるでおとぎの国にでもいるような気持だ。この映画が、いつまでもいつまでもつづいてくれたら、とどんなに思ったことだろう。
 場面は変わり、話は進んで、やがて最後の場面、王子の強い愛情によって、王女たちの魔法はとけ、幸福そうな王子と王女の踊りで幕は下りた。映画が終ってもわたしの心はたかぶっていた。「白鳥の湖」の一つ一つのシーンが眼に焼きついてしまって、いつまでも消えない。それは八年をすぎた今でも思い出すことができる。あの時のわたしのたかぶった気持がよみがってくるように。
 わたしも舞台に立って踊ってみたい。その時のわたしには、舞台が人間界とは別な世界のように思えた。そこには何のえんりょも、気づまりもないにちがいない。そんな所で思う存分自分を吐き出してみたい。泉のほとりであの王子様と王女様がいっしょに踊るのは、何とすてきだろう-わたしはそんな夢のようなことを描きはじめた。おとなから「バレリーナになるには、なみたいていのことではないよ」と聞かされたが、わたしは、苦労を重ねるのだから、あれほど感動させるのだ、と思い、よけい憧れてしまった。
 それから退園して、一年足らずで、ふたたび発病したわたしは、バレリーナになるなんて、とんでもない夢だと気づき出した。こんな夢を描いている自分がおかしくなってきた。いつ退園できるかわからない病気。もし退園しても、今のわたしのようにまた入園するかもしれないのに、なんでバレリーナになれる可能性があろう。たとえ夢であろうと、バレリーナになった自分を想像している自分がいやになってきた。それからそんなバレリーナへの夢は、わたしの中から消えていった。今ではバレエをみても、美しいな、きれいだな、と思うだけで、自分が王女様になってしまうようなことはない。あの頃はむじゃきだったなァと、ひとり思い出し笑いをする。
 今はだからわたしには夢がない。だがわたしは、自分の生きがいのある人生がほしい。生きている、ということを自分自身で味わってみたい。そして社会人として精いっぱい働いてみたいのだ。療養所のように垣根のない自由な世界で、自分が生きていることを確かめてみたいのだ。愛生園の高校なぞには行きたくはない。もうこれ以上囲いのある生活はしたくない。できるものなら早く退園し、この十年の空白を埋めたい。
 このわたしの願いを夢といえるなら、わたしは夢を持っているのだ。わたしはその夢に対してすべてを賭けよう。その夢を自分の手にとってみることができるように。この夢こそはたいせつに扱いたい-。(鈴木敏子『「らい学級の記録」再考』p.106-109)

 

「らい学級の記録」再考

「らい学級の記録」再考