岐阜新聞「次世代へ恵み継承 県民会議が「清流の国ぎふ憲章」案」の記事のリード。
県が本年度から本格的に取り組む「清流の国ぎふ」づくりについて、県内各界代表らが意見を交わす第2回「清流の国ぎふ」づくり推進県民会議は20日、岐阜市橋本町のじゅうろくプラザで開き、清流の国ぎふの理念を表す「清流の国ぎふ憲章」を大筋でまとめた。清流の恵みに感謝し、次世代に守り伝えていくメッセージとした。
厄介だ。「清流の国ぎふ」だらけ、4回出てくる。正式名称にこだわりすぎだ。さすがにここまで多いと考えものだ。なんとかしたい。ちなみに中日新聞のリードはこんな感じだった。
豊かな自然や人材を活用して地域活性化を目指す県の「清流の国ぎふ」づくりで、関連施策に対して県側に意見する推進県民会議の会合が二十日、岐阜市内で開かれ、清流の国の理念をまとめた憲章案が示された。
これも苦労しただろうと思う。でも、かなりコンパクトになっている。どちらが良いか。当然、後者である。
正式名称にこだわらないというのは、案外重要なことだと思う。読者に簡潔に伝えるための工夫のひとつだ。中日新聞のリードの「示された」という表現が私の趣味ではないので、以下のように変えてみた。
豊かな自然や人材を活用して地域活性化を目指す県の「清流の国ぎふ」づくりで、関連施策を県側に意見する推進県民会議の会合が二十日、岐阜市内であり、清流の国の理念を憲章案にまとめた。
日々、文章力を磨きたい。 。。