毎日の体験を記す場所

東京新聞(中日新聞東京本社)社会部デスクの小川慎一です。原発取材班にいました。取り調べは全面可視化、検察官は証拠リストを開示すべき。金に余裕があるならクール寄付。"All sorrows can be borne if you put them into a story or tell a story about them." Isak Dinesen(どんな悲しみも、それを物語にするか、それについて物語るならば、耐えられる)

全面的に書き直してほしい記事

 今回は購読者として怒っている。同業者としては残念というほかない。岐阜新聞「難病患者の家族、岐阜大医学部で講演 介護体験交え訴え」の記事のリードを見てみる。

http://www.gifu-np.co.jp/news/kennai/20140115/201401150938_21757.shtml

 将来の医師を目指す医学生を対象に、難病患者らの思いに触れてもらう講演が、岐阜市柳戸の岐阜大医学部小児科講義の一環として行われ、難病の一つ「副腎白質ジストロフィー(ALD)」患者の長男(24)を介護する母親(50)が講師を務めた。

 「将来の医師を目指す医学生」。。。「医学生」だけで十分通じると思う。もしくは「医師を目指す大学生」だろう。「患者の長男」は、「患う長男」か、「難病●●の長男」でも良いのではないか。「思いに触れてもらう」という部分も気になる。どうもしっくりこない。本文を読むと講演内容は、難病患者を介護する家族の心境についてだ。「触れてもらう」は「知ってもらう」の方が良いし、「難病患者らの思い」は、「難病患者の家族の思い」にした方がずっと良い。ということで、直してみた。

直し版> 難病の一つ「副腎白質ジストロフィー(ALD)」の長男(24)を介護する母親(50)が、岐阜市柳戸の岐阜大医学部で講演し、難病患者の家族の思いを医学生に語った。小児科講義の一環。

 と、ここまで書いたのだが、この記事の場合、表現上の問題は些細なことだ。最大の問題は、肝心な講演内容がさっぱり分からないこと。内容は最終段落に書いてある。

 講演では3年生97人を前に、長男がALDと診断をされた時の心境、自らを精神的に追い込んでしまった介護体験を振り返り、「患者や家族がどんな環境にいるのか、思いをはせることができる医師になってほしい」と語った。

 この前の段落は、ALDという病気の一般的な説明と、大学側が講演を企画した狙いが書いてあるだけ。これでは、講演を取材した意味がまったくない。

 母親は子供が難病と診断された際、どのような心境だったのか。介護の中でどのように精神的に追い込んでしまったのか。

 それを知りたい。じゃないと、「思いをはせることができる医師になってほしい」というメッセージの説得力がない。

 記者は、母親の心境や体験の中身を読者に伝えたいとは思わなかったのだろうか。。。もしそうだったなら、残念でならない。正直、全面的に書き直してほしい。

 

*振り返れば、自分でもここで指摘したような記事を何本も書いてきたかもしれない。それは読者にものすごく申し訳ない。