毎日の体験を記す場所

東京新聞(中日新聞東京本社)社会部デスクの小川慎一です。原発取材班にいました。取り調べは全面可視化、検察官は証拠リストを開示すべき。金に余裕があるならクール寄付。"All sorrows can be borne if you put them into a story or tell a story about them." Isak Dinesen(どんな悲しみも、それを物語にするか、それについて物語るならば、耐えられる)

これぞ「街の話題」

 神戸新聞のサイトは、地方紙の中ではつくりが断トツに良い。こういうサイトをつくれないもんかねえ。

 今日掲載されていた「お地蔵さん、どこから来たの? 神戸・北区の団地」という記事は、これぞ街の話題。取材し、書いた記者は署を担当する「署回り」なのかな。こういうネタを見つけきて、ちゃんと記事にできるってのは年齢やキャリアに関係なく見習わないといけないなと思う。

 神戸市北区甲栄台2の団地の公園に昨年10月ごろから、地元に縁のない地蔵が置かれている。市内では当時、換金目的で地蔵が盗まれる事件が相次いでいたが、神戸北署によると、関連性は薄いとみられる。住民らは「元あった場所に返してあげたい」と持ち主を探している。

  ちょっと気になるのは、「署によると」の部分。「署は関連性は薄いとみている」か「署によると、関連性は薄いという」の方が良いかなあと。

 第3段落も少し気になった。

 高さは約30センチ。当初から肩に赤い布を巻いている。地蔵が見つかったころ、長田区などを中心に地蔵の盗難が相次いでいたことから盗品の疑いも浮上した。しかし、同署によると、遺失物届などは出ていないという。

  「盗難」「盗品」ときて、「遺失物届」と続くのがしっくりこないのだが、まあ些細なことか。

段落内の主語は統一

 京都新聞教えて!「リケジョ」の先輩、女子高生ら聞く 中京で交流会」の記事のリード。

 京都市中京区のウィングス京都で19日、京都企業で働く女性研究者や技術者と、理系に興味がある女子中高生がふれあう交流会があった。生徒22人が第一線で働く「理系女子」の先輩たちから、仕事内容や日々の過ごし方を聞き、将来に夢を膨らませた。

 「ふれあう交流会」って。。。「交流会」だけで十分。このリードは、2文目が「生徒22人」で始まっているので、最初の文も生徒を主語にしたい。会場は2段落目以降に入れてもいいかなと考えた。ということで、こんな感じにしてみた。

 理系に興味がある女子中高生22人が19日、京都の企業で働く女性研究者や技術者たちと交流した。第一線で働く「理系女子」の先輩たちから、仕事内容や日々の過ごし方を聞き、夢を膨らませた。

 自分でもできるだけ気を付けたいなと思っているのだが、「ひとつの段落内ではできるだけ主語はひとつに統一したい」。そうすれば主語も省略しやすい。

 

 

2円で刑務所、5億で執行猶予 (光文社新書)

2円で刑務所、5億で執行猶予 (光文社新書)

 

 

「ビジネス」を意識すること

 新聞協会賞を2年連続で受賞したことがある毎日新聞の大治朋子さんの本「アメリカ・メディア・ウォーズ ジャーナリズムの現在地」(講談社現代新書)から長いが引用。新聞が生き残るために、記者は何を考え、何をしたらよいのだろうか。

現場で長く記者をしているとつい「他社に新聞紙上の報道で負けたくない」「ネット上での報道は二の次だ」と思ってしまう。自分たちの新聞のキラー・コンテンツは何か、どんな情報を読者は「お金を出しても欲しい」と思っているのか。記者として、ほとんど考えたことすらなかった。そしてネット上での記事掲載や有料化は、技術的に詳しい人に任せておこう、という及び腰。そんな意識のままでいたが、それではもう立ち行かないところまで来ている。編集局にいる記者が、現場で取材する記者が、頭のどこかに常にビジネスの側面、インターネット上に効果的に掲示するための手法を考えるスペースを保ち続けていなければならない。そうした一人ひとりの取り組みこそがジャーナリズムのあり方を変え、より現状に即した「商品」を作り上げていくのだと。(71ページ)

 

 

 

続報は「初報」として読まれる

 ある問題や事件の続報を書くのは難しい。京都新聞の記事「住民と議論平行線 流域治水条例案・滋賀県が2巡目説明会」を見てみる。リードはこんな感じだ。

 滋賀県議会で継続審議となっている流域治水推進条例案について県は18日、2巡目の住民説明会を始めた。同日は近江八幡市安土町下豊浦のやすらぎホールで開き、嘉田由紀子知事が住民約50人に条例制定を訴えたが、反対する住民との議論は平行線をたどった。

 滋賀県の「流域治水推進条例案」をめぐる続報なのだが、条例案の中身が本文を読んでも分からない。滋賀県民にとっては当たり前のことなのかもしれない。でも、新聞はその日たまたま手に取った人が、初めてそのことを知る場合もある。読者に「自分で調べて」というのは簡単だが、ちょっとだけ親切に書いても良いのではないか。

 読者は続報を「初報」として読む。

 続報を書くときは、そう心掛けたいところだ。

 調べてみると、条例案には「大雨で浸水の危険がある区域の建築を規制する」という内容があるようだ。これぐらいの字数ならば、補足してもいいのではと思う。

 

報道の正義、社会の正義  現場から問うマスコミ倫理

報道の正義、社会の正義 現場から問うマスコミ倫理

 

 

「つかみ」が大事

 記事のリードはしっかり書くべきだ、と繰り返し主張している(リードが大事ということばかり書いていて、ブログの見出しが思い付かなくなってきた・・・)。中日新聞満州陶磁器、職人おきざり 終戦時の混乱証言:愛知」。こういう話も好きなので読んだのだが、かなり分かりにくい。この記事のリード。

 戦前、瀬戸市の陶磁器職人らによって旧満州国中国東北部)に設立され、和食器を生産していた「満州陶磁器株式会社(満陶)」。現在は記録も残ってないが、旧満州国の建国十周年を記念し、現地で作られた磁器の杯が瀬戸市内で発見されたことを伝えた昨年十一月の本紙記事をきっかけに、当時社員だった父とともに現地で暮らしていた男性が、生活ぶりや終戦時の混乱などを満州陶磁器を研究している女性らに証言した。

  10字詰めで20行ある。全体的に長いし、1文も長い。「現在は記録も残ってないが」というのは、これは満陶の記録そのものを指すんだろうか。それと「本紙記事をきっかけに」というのはリードに必要ない。経緯は本文にかけばいい。リードは、男性の証言で面白かったことか、ざっくりとした証言内容を書いた方が良い。私なら、こんな感じにしてみる。

直し版> 戦前、瀬戸市の陶磁器職人らが旧満州国中国東北部)に設立し、和食器を生産していた「満州陶磁器株式会社(満陶)」。社員だった父と現地で暮らしていた瀬戸市出身で美浜町奥田の陶芸家加藤嘉明さん(79)が、当時の生活や終戦時の混乱を語った。満陶の記録は残っていないため、貴重な証言だ。

 元記事の第3、4段落は、陶芸家の男性が証言した経緯が書いてある。

 証言したのは、瀬戸市出身で美浜町奥田の陶芸家加藤嘉明さん(79)。

 磁器の杯を夫の実家で見つけた瀬戸市緑町の元小学校教諭加藤昭子さん(64)に連絡し、嘉明さん方を訪れた昭子さんと、父親が満陶の工場責任者だった加藤祐司さん(79)=同市安戸町=に体験を語った。

 昭子さんが研究者のようなのだが、ここははっきりと書いてほしい。リードにあった本紙記事の話も含めて、以下のようにして、この記事の最後の方に置いた方が良いと思う(ただ、うまく書き直せなかった。無念。。。)

直し版> 嘉明さんに話を聞いたのは、満陶を研究する元小学校教諭加藤昭子さん(64)と、父親が満陶の工場責任者だった加藤祐司さん(79)。昨年十一月、昭子さんが旧満州国の建国十周年を記念して現地で作られた磁器の杯を、瀬戸市内の夫の実家で見つけたことを本紙が報じた。これをきっかけに、嘉明さんが昭子さんに連絡した。

 本文も長い。リードを含めて10字詰めで110行ぐらいある。こういう記事では長いことが必ずしも悪いとは思わないが、それにしても長い。100行以内に収めたい。

 ということで、97行にしてみた。ただ削ってみて分かったが、内容が物足りない。逃げた兵舎がもぬけの殻だった状況を、この陶芸家や父、ほかの職員はどう思い、何を話したのか。そこが知りたかった。

 試しに全文を直した。以下の通り。

続きを読む

のっぺりとした記事にしない

 岐阜新聞でほっとする話題があったので取り上げる。「警官の妻、コラム人気 下呂署落合駐在所広報紙に掲載」という記事。リードはこんな感じだ。

 駐在所の広報紙にコラムを連載している下呂市小坂町落合の下呂署落合駐在所の巡査長(34)の妻(29)が、県警本部地域課から感謝状を受けた。治安情報などが並び、とかく堅くなりがちな広報紙に駐在所での家族の話題などを執筆。地元の小坂町で「ほのぼのとしてて親近感を感じる」と評判となり、警察と地域の交流を深めたとして県警本部の目にとまった。下呂署によると、警察官の家族に県警から感謝状が贈られるのは初めてという。

 長いのに、ちょっと内容が物足りない。最初の文が「感謝状を受けた」になっている時点で、気合いを感じない。記事中にリードに盛り込める内容が少ないのだが、こんな風にしてみた。冒頭はちょっと想像が入っている。

直し版> 振り込め詐欺の被害防止など堅くなりがちな駐在所の広報紙の片隅に、短いコラムが載っている。書いているのは下呂署落合駐在所の巡査長(34)の妻(29)。子供、迷い犬、家族旅行-。ほのぼのとした内容が地元で評判となり、県警は巡査長の妻に感謝状を贈った。

 リードが長い時は、いろいろ詰め込もうとしすぎだ。記事を何度か取り上げてきて、もしやデスクの趣味なのだろうかと推測している。もしそうなら、記者は踏ん張り所だ。購読者としても競合紙の記者としても、がんばれと思う。

 リードを読むと、巡査長の妻はどんなコラムを書いているんだろうかを知りたくなる。本文にはこう書かれている。

 巡査長の妻は、出産での里帰り中を除く、ほぼ毎号で執筆。高山市出身の2人にとって縁のなかった小坂町での生活や、赴任直後に生まれた長女(4)や長男(2)の話題、子どもと迷いイヌ、家族旅行などの話を書いてきた。

 ここまでざっくり書かれると、がっかりだ。こういう記事では、記者が印象に残ったコラムを引用してもいい。例えば、「子供たちは迷い犬にチロちゃんと名前を付けて、ミルクを飲ませました」とか。どうほのぼのしているのかを伝えてほしい。コラムを取り上げた記事なのに、コラムの内容をしっかり書いていない。

 それと、この記事にはコラムを読んでいる地元住民の話がない。すごく不満だ。県警は「地域との交流を深めている」と評価しているようだが、実際はどうなのか。そこを知りたい。というか、それがないので記事が全体的にのっぺりしている。

 「初めて」に振り回されてもいけない。リードに「下呂署によると、警察官の家族に県警から感謝状が贈られるのは初めてという」とわざわざ書いている。だが、なぜ「初めて」感謝状が贈られたのか、その理由をしっかり書くことの方が重要だ。本文には「家族を連れての駐在所勤務が敬遠される中、特筆すべき活動」とあるが、こんなの書いてないのと一緒。さっぱりわからない。コラムを通して、警察官の家族が地元に溶け込んでいる、住民にとって身近な存在になっているのではないのか?そこを住民にも取材して、書かないとダメだろう。

 いい話題なのにもったいないことをしている。

 

 

「ほとんど知らない人」向けに書く

 京都新聞木造校舎保存へ前進 木津川・恭仁小、耐震化へ 」という記事。歴史的建造物の保存について関心ありありの私は、こういう話が大好きである。だから、ちょっとこだわりたい。リードからは、校舎が歴史的な建造物なのか分からない。

 奈良時代聖武天皇が遷都した恭仁京の中心部「恭仁宮跡」(国史跡)の上に立ち、木造校舎で知られる恭仁小(木津川市加茂町例幣)について、木津川市はこのほど、2年間かけて耐震化する方針を決めた。国史跡のため工事には文化庁の許可が必要で「正式な決定はまだ」(市教委)とするが、未定だった歴史的な校舎の保存に向けて前進した。

 国の史跡の上に立つ(「建つ」では?)校舎があるんだなあと驚いた。しかし、そもそも校舎がいつ建てられたものなのか分からない。リードには入れたい。ということで、直してみた。当然短くした。

直し版> 1936年に建てられた恭仁小(木津川市加茂町例幣)の木造校舎を、市が二年間かけて耐震化する。奈良時代聖武天皇が遷都した恭仁京の中心部「恭仁宮跡」(国史跡)の上にあるため、工事には文化庁の許可が必要だが、歴史的な校舎の保存が前進する。

 一般にはあまり知られていない歴史的建造物については、建てられた時期をリードに入れた方が良い。じゃないと「歴史的」というのが読者に伝わらないのではないかと思う。その建物について「よく知っている人」向けではなく、「ほとんど知らない人」向けに書くようにしたい。

 

ジャーナリズムの原則

ジャーナリズムの原則

  • 作者: ビルコヴァッチ,トムローゼンスティール,加藤岳文,斎藤邦泰
  • 出版社/メーカー: 日本経済評論社
  • 発売日: 2011/08/25
  • メディア: 単行本
  • 購入: 1人 クリック: 323回
  • この商品を含むブログ (1件) を見る